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シベリアとの関わりの始まり

父は4年2か月もの間、ソ連に拉致されシベリアで強制労働をさせられた抑留者でした。

しかし生前はそのことをほとんど語らず、20年前77歳で生涯を終えました。

私は、父と酒を酌み交わしながら聞いたわずかの情報が知っていることの全てでした。

「小学校卒業してすぐに働きに出て、その後陸軍機械学校に入った」「満州で大砲の整備をしていた」「ソ連の収容所は極寒で、日本人が死んでも墓が掘れず、遺体を投げ捨てた」「日本に復員してから憲兵に監視された」

父は概ね幸せな人生を送ったと思います。が、心の奥底に深い悲しみと悔しさがあったのでしょう。私は、2016年8月に初めて、父が収容されたシベリアのテルマ村を訪問し日本人死没者を慰霊しました。70年間も時間が止まっているこの村に来て初めて、父の無念を実感として受け止めたのでした。

60万人の抑留者の無念が未だ晴らされていない。

村人は村長をはじめ皆さん日本人に親切で穏やかな人達です。この人たちも戦争で父や祖父を亡くし、また、スターリンの恐怖政治の犠牲になったのかと思うと悲しみが倍になります。

シベリア抑留問題は未解決です。ロシアから渡された抑留者についての情報は不完全です。亡くなった6万人の方々の半分は、今も死亡地、死亡時期が不明で、遺骨も収容されていません。ロシア政府の公式の謝罪もありません。

私にできるすべてのことをしよう。シベリアとの関わりが始まりました。